UI検討における「岡目八目」
皆さんも経験あるかもしれません。
昨日の晩に書いた日記を、翌朝読み返してみると、恥ずかしくて破り捨てたくなったという思い出が。
・・・そうですか、ないですか。はい、すみません。
アプリやWebサイトのUIを検討するときも同じような経験をすることがあります。
一生懸命考えたUIであっても、しばらく時間を空けて見てみると、イマイチなところが目立って直したくなってしまいます。
「岡目八目」
「岡目八目」という言葉があります。
「おかめはちもく」と読み、「傍目八目」とも書きます。
Weblioの辞書から解説を引用してみます。
〔人の碁をわきから見ていると,打っている人より八目も先まで手が読めるということから〕 第三者は当事者よりも情勢が客観的によく判断できるということ。
確かにありますよね、そういうとき。
私は囲碁はやりませんが、将棋や麻雀は良くやります。
将棋でも脇から見ていると、「あー、あそこに動かせば次の手が良くなるのに。」とか思ってみていたりします。
麻雀ならなおさら、「なんでその牌を切るのかなー。」「今のはポンだろ!」とか、心の中で叫んでいます。
おそらく立場が逆なら、脇から見ている人は私のイマイチな打ち筋に憤り、嘲ることでしょう。
もちろん隙のない人はいるのだと思いますが、こういうパターンはとても多いように思います。
UI検討での似たような出来事
アプリやサービスのUI検討でも、似たようなケースが多いように思います。
外部の立場としてUI案をレビューすると、イマイチなところがすぐに見つかるときがあります。
「これ、なぜ気づかないんだろう。。」と思うこともあります。
逆の経験も然りで、外部からの声で自分の考えたUIのイマイチさに気付かされるといったこともあります。
案外そんなものなのかもしれません。
ユーザビリティテストで自分の予想しなかった結果を目にするのは、まさにその典型例です。
しばらく時間を空けて見たときに、自分の考えたものがイマイチに見えるのは、おそらくそうした第三者的な視点を得ることができるからではないでしょうか。
どっぷり浸かることの意義
これは特定のプロジェクトにどっぷり浸かってしまうために起こる弊害だと言えます。
ただ、悪いことばかりではありません。
中身をよく理解することは、間違いのないUIを検討することができるでしょう。当然良いUXの実現にもつながります。
また、ほかのプロジェクトメンバーとのコミュニケーションや信頼関係の構築などは、どっぷり浸かっているからこそ醸成できるものかもしれないし、それにより自分の考えも受け入れられやすくなる可能性が高いです。
周りが見えなくなっているという可能性を意識する
ではどうすればよいか。
私が気を付けているのは、周りが見えなくなる可能性があることを意識することです。
プロジェクトの中に入ってしまったら、周りが見えなくなることがある。これは仕方がない。
だってそういうものだから。
ただ、それを念頭に置いて行動するのは大切だと思います。
他の人のレビューを受けたり。ユーザビリティテストを実施し、その結果に耳を傾けたり。
新しい UI ができた!と思っても、すぐに共有せず、一晩置いて改めて見返す時間が取れれば、多少の客観性が保たれれるかもしれません。
「誰がどう見たってこれがいいに決まっているだろ。」としか考えられなかったとしても、案外そうでない場合が多いです。
自分の正当性を疑問視する目、一歩立ち止まって冷静に見る目は忘れずにいたいものです。
でも、それを意識すれば将棋や麻雀が飛躍的に上手になるかというと・・・そんなことないですよね。。