UX探訪記

UIデザインやUXデザインに関する記事を集めたり書いたりしています。

アレクサちゃんが減っている件について

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Photo by Andres Urena on Unsplash

先日の朝NHKを観ていたら、「アレクサちゃん、減る」という話題をやっていました。
Amazon Echoの売り上げが鈍っているのかな、と思いきや、そういうわけでもなく、赤ちゃんに "Alexa" という名前を付けるのが減っているということでした。
NHKの話題はWeb上では見つけられませんでしたが、同じ話題の記事を見つけました。

robotstart.info

まぁ当然といえば当然でしょうか。
もしも子供がアレクサちゃんだったとしたら、所々で話される Amazon Echo への問いかけに無駄に反応してしまったり、「アレクサ、面白いこと言って」といった具合にいじられてしまうかもしれません。

命令するのに慣れてしまう?

この話題を聞いてふと思ったのが、現在ものすごい勢いで普及しているスマートスピーカーに合わせて、私たちも言葉で命令することに慣れてしまってきているのではないか、ということです。

私たちが普段生活している中で、「しりとりしよう」ならまだしも、「明日の天気は?」とか「面白いことを言って」みたいなことを生身の人間(特に家族以外の人)に対してお願いするときは、けっこう気を遣うように思います。
上からの命令にならないように気を付けたり、言い回しを工夫したり。
あるいは、ちょっと調べれば自分でもわかるものであれば、敢えて聞かないという選択もあります。

ただ、Google Homeしかり、Amazon Echoしかり、スマートスピーカーに対して何か聞くときには、あまりそういった配慮をしなくても問題にはなりません。
要はぶっきらぼうな命令で良いわけです。
それに対してAIアシスタントが「それくらい自分で調べろ」とか「おまえ態度でかいぞ」みたいに怒ってくることはないのですから。

そういう日常を考えた時に、今よりもっと音声UI、AIアシスタントが身近になっていったとき、依頼を命令調でいうことに抵抗がなくなってきて、生身の人間に対してもやや似たような感じになるのではないか?あるいはそこまでいかなくても、会話の質が変わってくるのではないだろうか? そうなると、我々の普段のコミュニケーション、社会生活にもあまり良くない影響が出てくるのでは、と考えてしまいました。

機械との会話は人同士の会話に近づいていくべきなのか?

まぁ考えすぎなのかもしれませんが、ここにひとつ「機械との会話は、人同士の会話に近づいていくべきなのか?」という課題が出てくると思います。
個人的には、そこに一線を引いて、機械であることを意識できるようなコミュニケーションにとどめておくべきなのかなと思いますし、そういったUXデザイン(というか Ethical Design)が必要になってくるかもしれません。

ただ、人同士の会話に近づけることで、ディベートを訓練できたり、英会話が上達したり、といったメリットもあるでしょう。
うまくお願いしないと応えてくれないとか、ご機嫌を取りつつお願いしないとならないようなAIアシスタントであれば、会話量も増えて話し上手になれそうです。
でも、そんなひねくれたAIアシスタント、ちょっと嫌だなぁ。。